夜と音楽とフィルム

●今日はスケジュールが一つキャンセルになり時間が空いたので、リチャード・リンクレイターの『SLACKER』をDVDで見ました。これは日本盤DVDが出てないのだけど、北米盤の2枚組エディションを裏ルートから(と書くと怪しそうだけど、要するに知り合いから)貸してもらって。クライテリオンのHPを見ると、16mm撮影でたったの2万3千ドルで作られた "one of the key films of the American independent film movement of the 1990s"。リンクレイターの長篇処女作ということだけど、その後のオリジナル作品(『バッド・チューニング』『ビフォア・サンライズ』『ビフォア・サンセット』『ウェイキング・ライフ』とか)とやってることは一緒だな。同じことをずっと繰り返してる。話してる話題も同じだったりするし。
●それから空いた時間で、『over8』で8ミリフィルムを使ってみて考えたことを書いてみます。ちょっと長くなるけれども。そもそもは、今年の7月くらいに雑誌で読んだ文章がきっかけになって始まった考えなのだけど、それはこんな文章でした。

ノスタルジーを感じる時というのは、視覚的な映像よりも、音とか匂い、しかも形容しがたいコーヒーのような匂いとか、そういう何とも言えないような、一見すると抽象化・言語化できそうもない、より原始的な、生のまるごとの断片からこそ、懐かしさそれ自体、臨場感それ自体が、ぐわーっと浮かび上がってくることってありますよね。
        郡司ペギオ-幸夫InterCommunication No.57』


(1)
●2006年3月、8ミリフィルムを使って短篇映画の撮影を行う。8ミリの映像は、たとえそれが最近撮影されたものだとしても、とても昔の映像を見ているみたいで、懐かしさを感じてしまう。どうしてだろう。8ミリ特有の退色したような色調、時を経て色あせてしまった写真のような色調のせいで、撮影された時点が遠い過去であるように感じてしまうのか(色彩は情動喚起的である)。あるいは、粒子の粗さによって輪郭がぼやけて見えるせいか。過去の記憶、想い出を頭のなかで思い返す時、それは鮮明な映像としては浮かばなくて、曖昧なぼやけた像になってしまうから、それで8ミリフィルムの滲んで溶け出したような輪郭が、まるで過去の記憶を再生させているかのように錯覚させてしまうのだろうか。(記憶映像もフィルムのように「ゆらぎ」を持っている。)
●おそらくは、子どものころから「これは昔撮られた映像ですよ」と言って見せられてきた映像のトーンが刷り込まれていて、たとえばセピア色の写真を見ると条件反射的に昔の写真であると思い込んでしまうように、8ミリの映像を見ると過去のものであると思い込んでしまうんだろう。
●いずれにしても、フィルムに写っている映像の内容とは関係がない。たとえ自分の記憶と全く結びつかない初めて見る映像であっても懐かしさを感じてしまう。じゃあ、ノスタルジーとはいったい何なのか?


(2)
●5月。ガス・ヴァン・サント監督『ラストデイズ』を観に行く。この映画はニルヴァーナカート・コバーンをモデルにしていて、主演のマイケル・ピットのコスプレ具合がカートにそっくりだという評判だったから、観に行かないわけにはいかない。ぼくはかつてカート・コバーンのモノマネをしていたことがあるので。(もし、「つっぱり」というバンド名に覚えがあったら高校の同級生かもしれません)。
●『ラストデイズ』の中では、(映画の現在である)94年当時ヒットしていた曲として、ボーイズ・II・メンの "On Bended Knee" が繰り返し流されるのだけど、それを聴いていたらなんともいえない懐かしさを感じた。(もし、中学校の卒業式の日に全校放送でボーイズ・II・メンの曲が流れていた記憶があるという人は、同じ中学の同級生かもしれません)。
●音楽は目に見えないから、そこにあると指差せるようなものでははなくて、自分との距離を測定できない(強いて言えば、自分の周囲を漂っているという感じか)。つまり、音楽は対象化できない。そして音楽は情動喚起的だ。


(3)
●6月。大学の同級生数人が集まって数年ぶりに母校を訪れるという『青空感傷ツアー』を行う(実際は終始曇り空で最後には雨が落ちて来たけれど)。昼間、学内を歩いていた時は別段感傷的になることもなく、ああこんなのあったなあとか、ここは変わっちゃったなあとか冷静に見てただけなんだけれど、夜、十年前に自分が住んでいた場所を歩いたときはヤバかった。
●十年前の時間の中に、自分がぐわーっと入り込んだような感覚、闇の向こうから十年前の自分が歩いて来て出くわしてしまうんじゃないかというような感覚。これっていったいなんだろう。夜の暗さ。街灯の光にところどころ照らされながら、物の輪郭は闇に溶け込んでいる。昼間、視覚によってとらえた景色は、はっきりと輪郭を持ち、その景色と自分との間には確かな距離があった。でも、闇は自分と対象との距離を無効化する。(記憶映像も、頭の中にあって視覚でとらえるものではないから、対象化できない。)


●夜や音楽が人をセンチメンタルな気分にさせるのも、映画が人を感動させるのも、この対象化できないという性質(曖昧でぼやけた輪郭)に秘密があるのだろうか。映画といっても、それはフィルムの話で、デジタルはアナログのゆらぎをカットしてしまう。最近テレビを見てると、デジタルビデオで撮影された超大作映画の宣伝がやたら流れていて、「泣ける」とか言ってるみたいだけど。。。『over8』はフィルムで撮ってます。


●と、このようなことを今年夏くらいから考えていたわけですが、今年はあまり日記を更新できなかった。去年はほぼ毎日のように書いてたのになあ。(だから去年日記に書いていたこと(去年考えていたこと)が『over8』中の『化け石』という作品に反映されてます)。今後二ヶ月は『over8』公開目前強化月間として映画の話題中心の日記になると思いますが、次回はどうしてぼくが映画に携わるようになり、『化け石』という作品を撮るに至ったのか、という話を。