出会い系広告、または「俺たちに明日はない」

●昨日の日記に、「どこかで誰かが見ていてくれたり、聴いていてくれたりするんだろう。」と書いたけれど、そこには「いつ」が抜け落ちている。時間に関しては、当然、映画の上映された瞬間、ラジオが放送された瞬間ということを想定していて、わざわざ記す必要もないと思ったのだけれど、よくよく考えてみると、「いつ」というのも可変的パラメータであって、「いつか、どこかで、誰かが」と書くべきだったのかもしれない。
●上映されている映画をいま見なくても、あとでDVDで見ることができたり、いまラジオを聴かなくても、録音しておいてあとで聴くことができる、というふうに、あらゆる物事を先延ばしにしていくことが可能な現代にあって、「いま」という時間は不当に軽んじられている。
●だけど、ぼくらの世界はちょっと違う。『サイヴァイ』はDVDでレンタルされたり販売されたりしないから。3/6のニーネのライヴは誰も撮影なんてしてないから(・・・たぶん)。それに、うちのミニコンポはカセットデッキが壊れてて録音できないから(それはうちだけか・・・)。
●つまり何が言いたいのかというと、『サイヴァイ』の上映に足を運んでほしいということ。そこに何があるのか、はしごを登って見に来て欲しい。そういう出会いをぼくらは求めてる。
●昨夜、2時間半しか寝てないので、半ば意識が朦朧としてるんだけど、そんな中で3週間も先の上映の宣伝を長々と書いてる場合じゃないな。ぼくが「いま」何よりもやらなければならないことは編集なのだった。
●締め切り延ばしてくれないかなあ。