心配な人がいる

●いま、とても心配な人がいるのだ。この前会ったときにゆっくり話したかったのだけど、先方はあまりぼくと話す気がなかったようで、一方的にぼくばかりしゃべって向こうの話はそんなに聞くことができず、だから、その人がこちらが心配しているような状態であるのかどうか実際のところはわからなくて、文字通り余計なお世話であるのかもしれないし、また人の心配をする前に自分の今後を心配したらどうなんだと言われれば、まったくもってその通りなのだけれど、心配というのは他人に対して働く心の動きで、自分のことは心配もなにも自分でなんとかするしかない。一方他人についてはぼくが直接どうこうできるものではなく、ただただ心配することしかできなくて、もちろん、メールなり電話なりしようと思えばできるのだけど、上に書いたように、心配しているのはぼくの思い過ごしであるのかもしれず、いきなり、大丈夫? と尋ねるのも気が引けて、でも心配なものは心配でこれはどうしようもなく、かといって、もちろん四六時中心配しているわけではないのだけれど、一日のうちだいたい一時間くらいその人のことを心配しているのだった。
●繰り返しになるけど、心配とは他人に対してするもので、一番身近にいる他人はきょうだいーーぼくの場合は姉ということになり、もう十数年も前のこと、ぼくは、それこそ四六時中姉のことを心配している時期があったのだけど、今は逆にぼくの方が心配される立場にあって、昨夜もゴールデン街で飲んでいたら姉から電話がかかってきて、仕事が終わって今はどうしているかだとか、今度ご飯食べに来たら、と言われたのだった。
●きょうだいのことが心配になるのは、生まれてからこのかた長い時間を共有してきたことによって、いわゆる「情が移る」ためではないかと思うのだけれど、目下ぼくが心配な人は、まともに話すようになったのが今年に入ってからで、付き合いも浅く、でもそんな短い付き合いでも情は移るものなのだなあ。と、ここまで書いて今はじめて気づいたのだけど、その人はぼくの姉に似ているのかもしれない。