For The Dead 2

書くということは起源として、過去や死者に捧げる行為だったのではないか。過去や死者を称え、称えるだけでなく自分たちの記憶に刻み込み、そうすることで過去の出来事や死者の言動がさらに力を増す--キリストと呼ばれる人の言動のように--。書くとはそういう行為だったのではないか。


       保坂和志『小説の自由』


From a Basement on the Hill
●今日は渋谷東急で開催中の「ぴあフィルムフェスティバル」へ。熊谷まどか監督『はっこう』の上映に行ってきました。ぼくは作品制作に関わってるので手前味噌になるかもしれませんが、この映画はホント面白いです。喜怒哀楽の感情が一色に染められない、と言っても、このパートでは笑わせて次のパートでは泣かせてというようにブロックに分けて感情を誘導していくのではなくて、ワンシーン(ときにはワンカット!)の中で複数の多様な(ときに相反する)感情がわき起こる、というなかなか得難い体験ができると思います。ぼくは一スタッフに過ぎませんが、劇場で見ていてとても誇らしい気持ちになりました(こういう体験もなかなかない)。『はっこう』は水曜日にもう一度上映があるそうなので、時間のある方はぜび。
●上映終了後、中古レコード屋を覗きに行って、エリオット・スミス『From a Basement on the Hill』の中古盤を見つけて購入。発売から二年。ずっと探し続けてようやく見つけました。新品で買おうと思えばいつでも買えたのだけど、これがエリオット・スミスの遺作で、この先もう彼の新曲を聴くことはできないんだ、と思うと、すぐに聴いてしまうのがためらわれて、中古盤が見つかるまでというのを口実に、このアルバムを聴くのを先延ばしにしていたようなところがあるのです。
●ただし、すでに故人となってしまった人のCDを聴いて、この人はもうこの世にいないんだなあと、わざわざ考えたりはしない。それはエリオット・スミスについても同じことで、ぼくはエリオット・スミスの音楽に触れていたのであって、彼本人に触れていたわけではない。彼の生死とは関わりなく、CDを再生すればいつでも彼の歌を聴くことができて、これまでと同じようにこれからも彼の曲を聴いていくのだろうなあ。


Congotronics
●それからちょっと前になるけれど、Konono No.1『Congotronics』も買いました。コノノは昨年話題になったから名前は知っていたけれど、リケンベ(親指ピアノ)をアンプにつないで演奏するアフリカのバンド、くらいの情報しか知らなくて、で、この前タワレコに行ったときに来日ツアーのチラシを見つけて読んでみたら、音を聴いてみたくなったので、タワレコの6000円以上購入でWポイントのキャンペーンに乗じて買ってしまいました。たとえば、チラシにはこんなことが書いてある。

リーダーのマワング・ミンギエディ(1933年生。ということは今年73歳か)によって69年頃に結成されたが、アンゴラとの戦争などでオリジナル・メンバーはほとんど死亡。その後、自分の息子や孫などを参加させ、バンドを再生。

●「69年頃」というアバウトさはなんだ。メンバーが入れ替わっているとは言え、リーダーくらい結成の正確な年を覚えていてもよさそうなものだ。あと、息子を入れるのはよくあるけど、孫とバンドを組むという例はなかなか聞きません。

ベルギーの精鋭レーベル、クラムド・ディスクのプロデューサー、ヴィンセント・ケニスが、コノノを探しに89年、96年、02年とキンシャサコンゴ民主共和国の首都)を訪れたが、紛争などもあって見つからず。02年の4度目となる訪問でついにメンバーを発見、録音を敢行。

●「発見」って・・・。音楽プロデューサーじゃなくて探検家みたいだ。コンゴがベルギーの植民地だったことも初めて知りました。

彼らは単純に楽器をアンプリファイズしているだけ。第一に、彼らは生きている人々の為に音楽をやってるわけじゃない、先祖の人々に聴かせるためにやっている。キンシャサの町はノイズがひどくて、アンプにつないで大きな音を出さないと聞こえないんじゃないかと(笑)。

●これはチラシではなくてCDのライナーに載っていたプロデューサーの談話。死者のために演奏する。音楽の起源はそういうものだったのかもしれない。詳しくは知らないけど。
●コノノの音楽は夏(強い日差しだとか蒸し暑さだとか)によく似合う。この夏のヘビーローテになりそうです。


●しばらく日記を書いてなかったのでさらにさかのぼると、アルノー・デプレシャンキングス&クイーン』を観に行って、この機会にと未見だった『魂を救え!』のビデオも借りて見ました。オープニングのクレジットを見てたら、『魂を救え!』の原題が "La Setinelle" (英語だと sentinel)で、主演のエマニュエル・サランジェ(Emmanuel Salinger)は英語読みするとサリンジャーだということに気づいて、センチネルとサリンジャーの連想から『ライ麦畑でつかまえて』のホールデンが自分のなりたいものはライ麦畑のつかまえ役なんだ、と語るところが読みたくなって、『ライ麦畑』をパラパラめくってたら、こんなセリフを見つけた。

「アリーが死んだことは僕だって知ってるよ! 知らないとでも思ってるのかい、君は? 死んだからって、好きであってもいいじゃないか、そうだろう? 死んだからというだけで、好きであるのをやめやしないね--ことにそれが、知ってる人で、生きてる人の千倍ほどもいい人だったら、なおさらそうだよ」


       J.D.サリンジャーライ麦畑でつかまえて


●ところで、日記のタイトルが「For The Dead 2」になっているのは、ちょうど一年前、昨年の7月16日の日記にも「For The Dead」というタイトルを使っているからで(その日も偶然、保坂和志の引用から始まっている)、今後も、3、4、・・・と、同じタイトルで日記を書くことがあるかもしれません。

「今では戦死者の上に僕らが生きている。
唾を吐くのと同じだ。忘れることは・・・。
いつも死体の山を考えてる。頭の中にいろいろな死者が浮かぶ」


       アルノー・デプレシャン『魂を救え!』