化石を掘る

●あらためまして、あけましておめでとうございます。正月は実家に帰省して、滞在時間は36時間くらいでしたが久しぶりにのんびりできました。実家に帰るのは四五年ぶりだったのだけど、久しぶりに会う親戚とかに、いま映画をやってますと言うとさすがにびっくりされました。最後に帰省したときはまだぼくが映画を作り始める前だったので。ぼくも、小さい子どもの頃しか知らないいとこがいきなり19歳になっててびっくりしたけど。で、そのいとこから、映画を撮り始めるきっかけはなんだったんですか?と聞かれて困りました。特にきっかけというのは思いつかないんだよなあ。
●幼稚園のときの文集を読むと、将来の夢は「はつめいか」と書いてあるし(ぼくの一番はじめのヒーローはエジソンでした)、中学生のときには、「ゆっくり眠れる職業に就く」と書いている(そんなことを書いた記憶は全くないのだけど)。という昔の記録を読んでみたりしたのは、年末に大竹伸朗「全景」展を見たせいです。


●「全景」展は大竹伸朗が小学生のときに描いた絵や作文(将来の夢)から中学、高校、大学時代の絵、80年代、90年代の作品、そしてこの展示のために作られた最新作まで一挙に展示された大回顧展で、とんでもない展示量でした(全部見るのに四時間かかりました)。当初は忙しくて行く暇ないなあと思ってたのが、見に行った友人から「すごいよ」という話を聞いて、聞いてるうちにどうしても見たくなり、最終日に滑り込みで行ってきたのだけど、これは本当に行っておいてよかった。
●で、ぼくも子どもの頃に自分が描いた絵とかを見てみたくなって、正月、実家の押し入れの奥からいろいろ引っぱり出して眺めてみた。8歳から12歳にかけて描き貯めたスケッチブックとか、小学1年生の冬休みの工作で作った恐竜(ティラノサウルス)の一部とか(さすがに本体は残ってませんでした)。
●高校のときに書いた、「カミュの『異邦人』を読んだがさっぱり理解できないので自分の考えをまとめるために書く」というふざけたタイトルの読書感想文(タイトルだけで三行も使っている)では、クイーンの"ボヘミアン・ラプソディ"の歌詞を長々と引用していて(これも明らかに字数稼ぎと思われるが)、まあ今と芸風が変わってないとも言える。
●小学生のとき、学期末にやるクラスのお楽しみ会で上演した台本も出てきて、『新鬼退治』というのは覚えてたんだけど、タイトルが書いてなくてサンタクロースとかヨンタクロースとかが出てくる台本は全く覚えがない(クリスマス会のときにやったんでしょう)。タイトルだけ覚えてるのだけど、『最勇気』という『西遊記』のパロディもやったはずで、確か紙芝居だったと思うんだけど、残念ながら台本は残ってなかった。
●あと、何年生のときのものか忘れたけど、『宇宙漂流記〜クイズ大魔王の野望〜』という台本も出てきて、ちょっと読んでみたらセリフがすごい。

「でたあ!! 宇宙怪人ベラベアー」

●その先は読むのやめました。


●実家に残ってたものの中で映画につながるものと言ったら、小学校時代に書いたこれらの台本くらいかな。あとは中学のときは野球に打ち込んでたし(そういえば生徒会の先生に、文化祭でミュージカルやりたいと言ったことがあるけれど、実現しなかったし)、高校時代は音楽に夢中だったし(今でも夢中だけど)。
●というわけで、なかなか映画作りのきっかけにはたどりつけないのだけれど、それにたぶん彼はここ読んでいないと思うけど(教えてないし)、とりあえず書いておく。

全ての審判は、死ぬ日で充分だ。
         中村一義 "ピーナッツ"

●以上。


●というわけで、「映画作りのきっかけを探して 〜『化け石』へとつづく旅〜」続きはまた次回。


●せっかく実家で掘り起こしてきたので昔描いた自画像をアップしてみます。左が11歳のとき、右が19歳のとき。



●タイムマシンに乗って今から10年前の自分と20年前の自分に会いに行って、「君は将来映画監督になるんだよ」って言っても、二人とも信じないだろうな。